イベントお待たせいたしました! 講演会「岸本佐知子トークショー 〜本、私、翻訳〜 」の詳しい内容をお伝えします
2018年11月4日、篠崎図書館では翻訳家の岸本佐知子さんをお招きし、
「岸本佐知子トークショー 〜本、私、翻訳〜」を開催いたしました。
大筋については篠崎図書館のブログ(2018年11月5日付)に掲載いたしましたが、
さらに詳しい内容をお伝えいたします。
外国文学の翻訳やアンソロジーの編訳、エッセイの執筆など、大変ご活躍の岸本さん。
翻訳の裏話や本の魅力、日々感じていることなどをお話しいただきました。
(聞き手・篠崎図書館館長 波多野吾紅)
翻訳について
「文章で書かれていないことも気合で読み取れ」
最初のお話はずばり、翻訳について。
岸本さんが翻訳の勉強をはじめた当初、「英語から日本語になおせばいいんでしょう?」と
提出した翻訳には、厳しい先生から辛い評価がついたことも。
翻訳の師匠である中田耕治氏から最初に叩き込まれたという教えは、
今も実践されているそうです。
それは、文字で書かれていないことも気合いで読み取れ、ということ。
作者の頭の中には、登場人物の顔や身長などあらゆるイメージが入っている。
たとえ文字で書かれていなくとも、それを気合で読み取れ。
翻訳者がイメージできていないことは読者もイメージできない、ということだそう。
例えば作中の犬について、dogという文字以外の説明がなくとも、
犬が大きいのか小さいのか、黒いのか白いのかなど、細かいところまで想像するそうです。
とても時間のかかる作業で、登場人物にハリウッド俳優をあてて勝手に配役を決めたり、
どうしてもイメージがわかないときでも、無理やり作ったりするとのことでした。
さらにこんな風に作品世界をイメージされている岸本さんならではのエピソードも。
訳しているお話が長いせいもあり、翻訳をしている最中は作品との距離が近すぎて、
物語がよくわからなくなってしまうことがあるのだとか。
読者の感想や書評を見て、物語について「ああ、そうだよな」と思うこともあるそうです。
最新作「最初の悪い男」
「登場人物の誰にも共感できないのに、魅力的」
次は、岸本さんが翻訳された最新作、
ミランダ・ジュライの「最初の悪い男」について。
ミランダ・ジュライの作品を翻訳されるのは、この「最初の悪い男」が3作目。
「一貫して、絶対出会うことのない赤の他人同士が出会って
化学反応が起こるという作品を書いている。こういう話を書いている人は
他にいないのでは……」と感想を持たれているそうです。
本書の主な登場人物はふたりの女性。
自分の行動を自らルールで固め、「システム化」した生活を送るシェリル。
そしてシェリルの上司の娘でセクシーな美人、だけど足がとても臭う、
岸本さん曰く「汚女」のクリー。
かなり極端な個性を持つふたりがひとつ屋根の下で暮らすことになり……という物語です。
岸本さんはこの作品を「登場人物に全く共感できる人がいないのに読みどころがある」と、
その魅力を教えてくださいました。
ウォータースライダーみたいに一寸先が見えない展開も然ることながら、
読むたびに見方が変わる奥深さも魅力とのこと。
はじめは共感できないと思った登場人物の悲しみを感じたり、切なく感じたり。
岸本さんが物語や登場人物、ひいては著者に思い入れを持って翻訳されていることがうかがえます。
また、暴力的なシーンなどは、「翻訳していてめちゃくちゃ楽しかった」とのことでした。
ベトナム戦争がテーマの作品なども訳されている岸本さんですが、
「この本がいちばんバイオレントでした」とおっしゃいます。
アンソロジー
「アンソロジーは好物だけを集めたお弁当。翻訳家にとって夢の仕事」
書評やエッセイを書かれたり、小説を一冊の本にまとめて
アンソロジーを作られたりと、多方面で活躍されている岸本さん。
とりわけ、アンソロジーを作るのはとっても楽しいそうです。
翻訳した中から作品を集めたり、
好きな作家さんにアンソロジーのために作品を書いてもらったりと
色々なパターンがあるそうですが、
どちらにせよ翻訳家にとって、夢の仕事ではないか、とのこと。
例えば私たち一般の読者も、一人の作家の短編集を読んで
収録作品の全部を気に入る、ということはあまりなかったりしますよね。
何編もあるうちの、一つだけしかツボじゃないなんてことが、
皆さまにもご経験があるのではないでしょうか。
アンソロジーのお仕事では、数多の作品の中から「いいとこどり」をできるから、
完成した本は「完全に自分の世界、好きなものだけを集めたお弁当」になるのだそう。
岸本さんの世界に魅せられるファンの方にも嬉しいお話なのではないでしょうか。
岸本さんの手がけられているアンソロジーといえば、
「変」な恋愛物語ばかりを英米文学から集めた「変愛小説集」が有名です。
タイトルがキャッチーなので、同じテーマでの日本人作家の書きおろしを集めた
「変愛小説集 日本作家編」も出版されました。
当初、雑誌「群像」が書き下ろしの「変愛小説集日本人作家編」を企画し、
その著者の1人として依頼がきたのですが、
「変愛小説」という言葉の生みの親としてぜひ!ということで編者に名乗りをあげたそうです。
その中の一つ、川上弘美さんの「形見」という短篇はその一編に収まりきらず、
1000年後のディストピアを描いた「大きな鳥にさらわれないよう」という
長編作品へと広がりました。
おそらく短編を書かれている時から、
作中の細かな世界背景などを考えていたのではないかということで、
アンソロジーをきっかけに新たな奥深い作品が生まれるという素敵なお話でした。
アンソロジーについて岸本さんは、
「翻訳小説は敷居が高いという人も、アンソロジーでいろいろな作家の作品を
試食品のように楽しんで、気に入った作家の別の作品を読んでみる……というふうに、
外国文学にも楽しみが広がっていくお手伝いができたらいいですね」
とお話しされました。
大人にこそわかる味わい深い本30冊
「脳内麻薬を出しながら選びました」
さて、篠崎図書館ではこの講演会を記念して、2018年の11月5日から29日まで、
読書週間特別企画『翻訳家・岸本佐知子が選ぶ「大人にこそわかる味わい深い本30冊」』を催しました。
(目録はこちら)
お仕事柄、選書を任されることが多いという岸本さんですが、
書店と図書館では、内容が大きく変わるのだそうです。
新刊書店では絶版になった本は選べません。
今回の選書についてはその制限がないので、
「脳内麻薬を出しながら」30冊選んでくださいました。
他では見られないラインナップになり、
このために図書館に立ち寄ってくださる方がいらっしゃるなど、
大変ご好評いただきました。
その30冊の中に、「HERE」(リチャード・マグワイア著、国書刊行会)という本があります。
ある家族と、紀元前30億50万年から2万2175年にいたる地球の歴史が、
定点から描かれた絵と少しの文章で表現されています。
見開き1ページにある時代のある場所の絵が描かれ、
ページをめくると、別の時代の同じ場所の絵が描かれている……という構成です。
まるで時間を手で触れるもののように感じる、紙の本ならではの作品だという本書。
神様のように、時間が縦に並んでいるのを見ているような気持ちになるのは、
紙のページをめくるからなのか……
そんなお話から、紙の本の可能性についての話題になりました。
家の中に1000冊くらい本があるという岸本さん。
電子書籍も便利だけれども、
本がモノとしてそこにあることに意味があると思われるそうです。
いつか読もう読もうと思って、何冊も読まないまま本を積んでしまう
いわゆる「積ん読」も、読書のうちだと考えていらっしゃるとのこと。
「あそこに何とかさんの書いた本があるというのは、別の世界への扉があるということ。
積ん読とは、あるとき読みたくなる本。
自分の波長ってあると思います」とおっしゃいます。
あそこにあの本があるなあと感じながら日々過ごし、あるとき急にそれを読みたくなる、
そうして読んでみたらおもしろい。
ある人から預かって、読まずに10年間そのままになっていた洋書を
突然読みたくなり、それをアンソロジーに収録したこともあるそうです。
OL時代〜翻訳家岸本佐知子が誕生するまで
「翻訳家には、うっかりなっちゃった」
ストッキングをはいて朝早く呼び出されるのがイヤだった(出勤のことです!)というOL時代。
肝機能Dの人が一番偉いというお酒の会社で、自由な社風だったから良かったものの、
納期や上下関係など“会社センス”がないと半年で気がついたそうです。
皆と同じ給料をもらうのがつらくなり
4年目くらいに居場所が欲しくなって通い始めたのが翻訳学校でした。
学校で勉強ができなくても、部活をやっていれば居場所ができる……
そんな場所が欲しかったと当時の気持ちを語られます。
岸本さんが今翻訳家として活躍されているのは、そういういきさつがあったからで、
驚いたことに、翻訳家は半ば「ゆきがかり」でなったのだそうです。
周りにも、大学を卒業してすぐ翻訳家になったのではなく「うっかりなっちゃった」人が多いとのこと。
また、岸本さんは翻訳家志望の若い人にアドバイスを求められたとき、
「まず会社に勤めてください、ぜったい役に立つから」と答えるそう。
作品を読み取るとき、こういうことを言っている人の表情はこんなふう……とか、
会社という制約された中で経験する社会の諸相がデータベースとして残っていて、
翻訳の役に立つのだそうです。
その効果は「今でも時々勤めたくなります。人間観察のために」というほど。
小説は、例えば犬が主人公の物語でも、
実際に描かれているのは人間の話なのだそう。
狼が主役のジャック・ロンドン「野生の呼び声」をその好例に挙げ、
「大人の話だし、人間の話。ぜひ一回読んでみてほしい」と
薦めてくださいました。
幼少期の読書
「子供のころ読んだ名作も大人になってから再読してほしい。子供のころにはわからなかったことがわかるから」
お父様が「岩波文庫フェチ」だったという岸本さんのご実家には、
ずらりと岩波文庫があったそうです。
小さな子どもに岩波文庫は難しいのではと驚きますが、
小学3年生だった岸本さんは、旧仮名・旧漢字の本にルビをうって読んでいました。
100年前のフランスの風物などわからないことが沢山あって、
わからないからこそ何度も読み、繰り返し読むことで発見があったと当時を振り返ります。
そんな風に幼少期の岸本さんが繰り返し読んだ愛読書が、ルナアルの「にんじん」。
兄弟の中でただひとり母親につらい仕打ちを受ける主人公、にんじんの成長物語で、
「今読むとひどい話だけれど、にんじんもスルー力を見せたり生意気だったりと、
けっこう“食えないガキ”なんです」と岸本さん。
子どものころは、不気味に感じる挿絵なども気になって、何度も読まれたそうです。
赤毛のはずのにんじんが坊主頭だったことが謎で、その謎を解きたかったといいます。
岸田國士の訳文が名訳で、
「文章のリズムはそこで染みついたかもしれません」ともおっしゃていました。
ちなみにこのヴァロトンによる挿絵について、
光文社古典新訳文庫で同様のことを中条省平氏が指摘、
同文庫では挿絵を省いています。
小3の岸本さん、鋭いですね。
「にんじん」をはじめ古典や名作は絵本や児童書にもなっていますが、
大人になったら原作も読むべきと岸本さん。
「子供の頃にはわからなかったことがわかるから」と、
子供のときに読んだ「名作」をあらためてちゃんと再読する良さを教えてくれました。
グーグルのない時代の翻訳
「グーグルは神じゃないと自分に言い聞かせています」
児童文学の翻訳から、
その先駆者的な存在である石井桃子さんに話題が及びました。
代表作の一つ「くまのプーさん」について、
「原作ではただのプーなのに、そこに『さん』をつけたことで
プーさんのキャラクターが一気にたった」
と石井さんのセンスに感心しきり。
当時は今のように辞書もなく、
「イーヨーやコブタの喋り方を、辞書やグーグルのない時代に
どうやって訳したのか。すごい!」と絶賛されました。
岸本さんが翻訳を始められたころも、電子辞書やインターネットがなく、
紙の辞書に載っていない、分からない言葉はアメリカ大使館に訊いたり、
最終的には作者に手紙を出したりしたのだそう。
今のように言葉をまっすぐ調べられなかった当時、
気になっていた言葉が偶然パッと雑誌から目に入って来たり、
紙の辞書をめくっていたら、目的以外の変な言葉を見つけたりしたそうです。
「当時の翻訳者はみんな経験しているんじゃないでしょうか」といいますが、
パソコンやスマホで検索するのでは、
そういう経験はしにくいのではないでしょうか。
私たちは簡単に情報を手に入れることに慣れてきてしまっていますが、
岸本さんは、「グーグルは神じゃない」と言い聞かせて使っているそう。
「グーグル検索して出てこないものはこの世にないんじゃないかと思ってしまう、
それが怖いなと思う」とのことでした。
くわえて、「とか言いながら、家から出ないんですけどね(笑)」とも。
インドア派で、地面を踏まない日もあるという岸本さん。
スマホもよく使われるそうです。
仕事道具へのこだわり
「オアシスがなくなることを想像すると夜も眠れない」
そんな岸本さんがご自宅で愛用されているお仕事道具は、
パソコンではなく、なんとワープロ。
富士通のオアシスという機種で、ポイントは親指シフト。
キーボードのキーの配列が、通常のPCなどに使われる規格と異なっています。
考えるのと同じ速度で文章を打てるそうで、これと同じタイプのワープロのファンが
他の作家さんにも意外とたくさんいるのだとか。
もちろん原稿を送るときはメールですから、
データをフロッピーディスクに移してから送っているとのこと。
古い機種ではあるものの修理業者がいることを心の支えにしていて、
なくなることを想像すると寝られないほどだと語られました。
仕事道具へのこだわりが感じられますね。
自身の翻訳の速度について、
「サボっているわけではないけど遅いです」とおっしゃる岸本さん。
数多くの作品を翻訳されている翻訳家・柴田元幸さんには、
岸本さんが1ヶ月くらい考えて分からないことを電話で訊いたら
「これはこうだね」とすぐ返事がある、とういうエピソードも。
「柴田さんは学校で人に教えるお仕事もされていて、
情報が自身の中でタグ付けされるように整理されているのではないか、
教えるという行為がトレーニングになるのだと思います」とお話されます。
岸本さんには「積み重ねてきた経験がどろどろになってしまうと感じることがある」そうですが、
「柴田さんのように情報を整理できるのが学校の先生の強みでは」とのことでした。
岸本さん自身は「気合いで」「なんとなく」翻訳されるそう。
学校の先生にはなれませんねという聞き手の問いには、「ムリです!」
トークショーの終わりが近づいて、最後に締めの一言をとうながされ
「特にないなんて言ったら……」という岸本さんの返事に、
会場から笑いが起きる場面も。
「翻訳された本をぜひ読んでみてください」という言葉で、トークは終わりになりました。
岸本さんの気さくでやわらかい雰囲気につつまれながら、
様々なエピソードをうかがえたトークショー。
外国文学がお好きな方にも、あまり読んでこなかったという方にも、
大変興味をそそられるものだったことと思います。
岸本佐知子さんの翻訳された作品や今回紹介のあった作品をはじめ、
翻訳作品をぜひ読んでみていただいて、
皆さまの読書生活がますます充実したものになれば幸いです。