イベント講演会「足軽たちの戦国時代」を開催しました。
本日、篠崎図書館で、
講演会「足軽たちの戦国時代」を開催しました。
小松川図書館館長の中島 善久さんをお招きし、
戦国時代の足軽について語っていただきました。
国史大辞典によると「足軽」とは中世において、
ゲリラ・攪乱戦法に特別な役割を担った兵。
足軽と言う言葉は、すでに平安時代の後半には見られ、
武士のモラルを無視した行動をする農兵が「足軽」として
組織化されたそうです。
室町時代の後期の公家・一条兼良が将軍・足利義尚の
ために書いた指南書「樵談治要」では、
足軽の活動を、「昼強盗」「悪党」と罵倒し、
京都市街の治安悪化は足軽のせいと記述しています。
武士とは違い、恰好も奇抜で「平時物語絵巻」などの絵を
基に説明していただきました。
足軽が活躍した室町時代は幕府の権力が弱まり、
守護大名たちが戦国大名へとなっていく転換期でした。
人々は自衛を目的として村人全てを構成員とする中世村落
「惣村」をつくっていきました。惣村は、他の惣村と
連携しながら領主権力と合従連衡を重ね、自らの自立性・用益の確保に努めました。
今でいう労働組合のようなものだそうです。
この惣村が足軽を戦場に送り出す大きな供給源に
なっていたと考えられるとのことでした。
惣村の展開と戦乱の広がりの過程で、
足軽は戦闘行動を下支えする集団として重要性を増していったそうです。
戦国時代になると足軽は戦国大名の軍勢に組織的に編入され、
「鉄砲足軽」「弓足軽」などの職掌による呼称の分化が
見られるようになったそうです。
また、鎧を揃えるため、大名が足軽に鎧を貸す「御貸具足」が誕生したそうです。
足軽たちの功名や失敗談、戦場での飲食や傷病に関する心得などを
会話形式もとりまぜて記した「雑兵物語」からいくつかエピソードを
ピックアップして、紹介していただきました。
・のどが乾いたら、梅干をみてのどの渇きをまぎらわす。
・米を一度に渡すと酒を作るものがいるので、3、4日分にして、5日分以上は渡さない。
・怪我をしたら寝てはダメ。
・馬上の敵は、先に馬を狙え。
・戦場で命を落とすとも、敵を一人でも多く殺せ。
など、足軽の処世術が書いてあるそうです。読めば、足軽の気持ちが分かるかもしれません。
江戸時代になり、足軽の身分は世襲制ではなく、名目上一代限りになり、
身分制社会の中で農工商よりは上位だが「士分」とは区別される存在になりました。
奉行所の「同心」や平賀源内も足軽だったそうです。
足軽の身分は明治まで続き、明治5年に廃止されたそうです。
ドラマや映画では決して主役にならない足軽ですが、
今回の講演会を通じて足軽の魅力を知ることが出来ました。
最後になりますが、篠崎図書館では皆様の関心に応えられるよう、
今後も様々なイベントを企画していきます。
多くの方のご参加を心よりお待ちしております。