BLOGしのざ記

Today 2024/04/19

イベント講演会「「月刊・金魚道」編集長にきく江戸川区の金魚よもやま話」

【登録日: 2018年05月20日 】

本日は、

大成企画代表、雑誌「月刊・金魚道」編集主幹の

大野成実(おおのなるみ)先生をお招きし、

講演会
「月刊・金魚道」編集長にきく江戸川区の金魚よもやま話
を開催いたしました。
 

江戸川区の特産品のひとつとして知られている金魚。

「えど金ちゃん」に馴染みのある方も多いのではないでしょうか。

 

けれども江戸川区で金魚養殖が行われるようになった経緯や、

現在の状況、あるいは金魚そのものの

品種の選別や、繁殖の実際については

知る機会が少ないかもしれません。

 

長年観賞魚の世界に携わり、

現在はご自身のふるさとである江戸川区の

金魚の啓もうに努められている大野先生に、

普段なかなかきくことのできない

金魚のディープなお話をお伺いしました。

 

「月刊・金魚道」は、「Goldfish」ではなく

「Kingyo」という名前で海外の方にもなじみを持ってもらおうという

願いを込めて「Kingyo Do」ともタイトルの表記があります。

 

 

「金魚のふるさと江戸川区」という冊子と

スライドショーを交えた講演会。

 

中国での金魚の発祥から、日本への伝来、

そして明治30年頃に江戸川区で養殖がはじまり、

第二次大戦を経て現在に至るまで、

その時々、様々な状況で行われてきた

金魚飼育の歴史が語られました。

 

福や富をもたらすとして宮廷で愛され、

高級嗜好の一点物の金魚が好まれた中国。

大衆向けに伝統的な品種が守られ、

大きな池での養殖技術が進んだ日本。

 

同じ金魚でも、中国と日本では

大きく違う道を歩んできたのですね。

 

 

江戸川区で金魚養殖が栄えたのは、

当時、埋め立てのために土を掘った後の多くの穴を

活用できたのが理由のひとつだそうです。

 

大戦中は、食料確保のために金魚の養殖池が

鯉の養殖池へ転用されるなど、金魚は絶滅を免れるのが

やっとの時代だったそう。

業者の方々のはかり知れない努力で、

金魚は今の時代へと受け継がれました。

 

ところで戦時中は、

「金魚を飼っている家には爆弾が落ちない」なんて迷信もあったとか!

今も昔も、金魚は縁起のよい魚として愛されていたのですね。

 

 

さて、終戦後復活した江戸川区の金魚養殖。

昭和初期には全国で有数の産地になりました。

 

ところがそのころをピークに、江戸川区から

金魚の養殖池が少しずつ減っていく様子が

スライドショーの航空写真で明らかになります。

開発が進んだことによる様々な弊害のためです。

 

特に印象深いのは、田んぼや畑にするのとは違って、

養殖池は土地の税金の優遇がないのだということ。

家を建てたり駐車場にして活用するのと負担は変わらないという、

養殖を続けるには厳しい現実があるのです。

 

 

ところで金魚には、

よく知られた和金や出目金、琉金やらんちゅう、

ほかにも確立された品種があります。

 

私たちはてっきり、出目金からは出目金が生まれ、

琉金からは琉金が生まれ、らんちゅうからはらんちゅうが生まれるのだろうと

想像してしまいますが、実はそんなに単純なお話ではないのだそうです。

 

親にする魚を選び損なってしまうと、

三尾の品種の尾が鮒尾になってしまったり、らんちゅうに背びれのあとができてしまったり、

簡単に先祖返りをしてしまうとのこと。

 

金魚は同じ親から生まれた兄弟でも、必ずしも同じ姿にはなりません。

業者の方の経験と技術、並みならぬ苦労によって、

私たちのよく知る品種が長い間受け継がれて来たのですね。

 

江戸川区で長年活動されている大野先生ならではの

貴重な資料やエピソードがたくさん盛り込まれました。

 

 

質疑応答の時間には、ご来場の皆様の金魚好きがうかがえる、

内容の濃い質問ばかりが飛びかいました。

最後まで興味深く、名残惜しい気持ちで閉会となりました。

 


締めのあたり、

「10年後、20年後に江戸川区の金魚はどうなっているかわかりませんけども」

という、大野先生の言葉が印象的でした。

課題は多いですけども、

先人たちが守ってきてくれた、かわいい江戸川区の金魚を、

そして、ずっと受け継がれてきた伝統のある品種を、

後世にも楽しんでもらいたいですね。

 

現在、篠崎文化プラザの企画展示では、

江戸川区の堀口養魚場さんから金魚をお借りしています。

とても立派でかわいらしいく、見ていると時間を忘れてしまいます。

この機会にぜひお立ち寄りください。